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ニュートラル

かしこく軽やかに生きる。

育児の日々で煮詰まったとき。この人の言葉に触れたら回復できる、すてきブログ(本)まとめ。

こどもとの日々。

f:id:aipkun:20160813191403j:plain あらたな発見、成長のよろこび、つながるご縁・・・

ばたばたの合間の家事、仕事、自分の時間・・・

けんか、意味わかんないこだわり、睡眠不足・・・

や~、ときには煮詰まることもありますね。(そうです、最近煮詰まり気味です)(でもこうしてブログネタにできるくらいまでゆるまってきた)

 

そんなときに意識して触れるようにしたい、

こころとカラダをすーーーっと解放してくれる言葉たちをあつめました。

 

下がってしまったときには、うつくしい生活を発信しているうつくしい人の言葉に触れて、上がるのを待つ。これがわたしの回復方法です。^^

 

吉川めいさん「子供の未来や自由を奪う大人 ~What kind of Mother do you want to Be??~」2014/05/11

f:id:aipkun:20160813191425p:plain 出典:http://maeyoga.com/archives/5749

東京・表参道にあるヨガスタジオvedaをつくった素敵な偉大なヨガインストラクター吉川めいさんのブログより。

めいさんの愛ある発信はいつもわたしのこころをいい方向にひっぱってくれます。

ヨガワークショップでお会いした時の、透明ででも芯がつよくてポジティブな、独特な雰囲気をおもいだして、あぁ~下がってる場合じゃないわって思わせてくれる。

もう2年前の投稿だけれど、とくにひびいた投稿から引用して紹介します。どんな母でありたい?っていうはなし

それは、いかなる形であっても、「子供の未来や自由を奪う大人」にはなりたくない、ということ。 これって、私の中ではただ押し付けがましく学歴や仕事や、「やるべきこと・やらないべきこと」のルールを決めつける親になりたくない、というだけではありません。もうちょっと深く、さらに微妙な次元にまでいたること。それは、言ったりやったりしていなくても(しているつもりではなくても)、自分の存在が醸し出している「意味」やそれが指している在り方についてです。

どんな母でありたいか? ってじぶんと向き合うことができるようになったのは私はつい最近のこと(次男が3歳になったくらいからかな~)バタバタすぎて鏡見る余裕もなかったんだから(大げさでなくほんとうにさ)

こどものために、かぞくのために、バタバタしてしまう母という立場だけど、その母がどう在るのか、どう存在してるのかっていうかどんな生き方なのかっていうところをこどもはすごく感じとっているよね。こどもとかぞくのお世話係、それを取ったら何も残りま~~せんっていうかんじだったもの、ついこないだまでね。やっと自分を取り戻していろいろもぞもぞ動き出してるけど。

だからなんかすごくめいさんのこの投稿は今ひびいた。

子供は、間違いなく言葉以上に、存在が醸し出している姿を例に見て育つでしょう

つい言葉ばっかりになっちゃうのよね。口数少ない口下手なわたしでさえ、口ばっかりになってる感ある。

そうじゃなくて姿勢で示せ。ということだ。

 

奥津典子さん「卒乳を終えて。子育てに気をつけていることなど。」2016/7/7

f:id:aipkun:20160813191427p:plain 出典:http://blog.livedoor.jp/okutsunoriko/archives/8625741.html

マクロビオティックの奥津典子さんのブログより。

奥津さんからマクロビオティックを学びました(通信講座です)。

私の日々の生活の隅々に奥津さんの言葉が入り込んでいます。

でもバタバタしてるとついついマクロビバランスから遠のいて荒んでしまったり。。

(最近マクロビオティック路線からちょっと外れてきた感もありますが、陰陽のことはつねに意識していて、いつも中庸(ニュートラル!)でいたいとおもってる)

そんな時は奥津さんの本を開いたり、ブログを読んだりして、じぶんを落ち着かせてます。

つい最近の投稿が、はっとさせられたので紹介します

 

プラスチックの手触りや音や、電子音はできるだけ避け、自然なものの肌触りと音の無数のヒビキに触れさせるようにしています。行間ならぬ、音と音の間に、例えば木の葉が落ちる音、木と木がぶつかる音には、無数の音が存在しますが、プラスチックや電気のおもちゃは、その一切が欠落しています。特殊な塾や教育に通わせなくても、身の回りで養える脳や発育にいいことがいっぱいあると思っています。

 

台所と農家を、大事にできることが、子育て、個人と社会の幸福に不可欠だと思います。「子どもがいても、働ける事を応援」も大事ですが、「仕事があっても、子育てを理に則って楽しめる事」を社会はもっと応援すべきだと思う。

電子音・・・音ってほんとうに、すごい影響力だと最近思ってた。電子音というか、たとえばパソコンのブイーーーーンっていう低い音とか空調のぼーーーーって音とかが鳴ってるのって、鳴ってる間は慣れちゃってべつに気にならないんだけど止まったとたんに、あ~~。ってほっとするよね。からだのどっかの力が抜けるの。あと海とかすごい広い公園とかなんもない郊外とかに行ったときの、車の音がしない気持ちよさね。ベネチアに行った時、車がいなくて水の音しかしなくてすごく不思議で心地よかった。(水、臭かったけど)そしてやっぱり、波の音とか鳥の声とか葉っぱの重なる音とかの癒し効果。オトナにとっては癒しだけど、こどもにとってはそれ以外が害だよね。現代を生きるにはそれを完璧に避けるなんて無理なんだけど、やっぱり意識してそういう環境に身を置く、っていうのが子にとっても親にとってもすごく大切で、いつも意識していたいことだよな、っておもう。下がってるばあいじゃない、こどもと一緒に海とか山にいこう

そして働くママを応援、っていう流れもなんか、それで何がいいことあるのかって経済がすこしでもよくまわりますように、っていうことなんだよね。そっち優先かあ、、って。私は今は働いていない(雇用されていない、なんか家でじわじわやってるけど)から、でもそれはそれでタイヘンなところがあったりいろいろあるし、働きながらこどもと生活しているママもタイヘンだし、いろいろあるし、、、まずはママが、生活を楽しもう、そこからだ

すべての根源は、台所、なのかもしれないな。下がってるばあいじゃない、台所きれいにしておいしいごはんつくろう

 

整体的子育ての山上亮さん「子どものしぐさはメッセージ」

f:id:aipkun:20160813191504p:plain

しかし、今回自分が「子どものしぐさ」として挙げた動詞の数々を見ていて、そういえば人間って大人になると動詞の数が減っていくんだなと思い当たった。 たとえば今回の本で取り上げたしぐさでも、ほとんどの大人は「ころがる」なんてことしないし、「とびおりる」ことも「つみあげる」ことも「まねる」こともほとんどしないだろう。 子どもはいろんな動詞を試してみるけれども、大人になると「動詞の実験」ということはしなくなる。

整体的子育ての山上亮さんのブログより:http://zatsunen-karada.seesaa.net/article/370963223.html

整体の先生だからなのか。山上さんのブログを読むとなんかからだがほぐれる。ときどき難解で、でも固まってしまうってかんじじゃなくて、いろんなところが刺激されていつのまにか整ってるみたいな

こどもにとって手当てがすごくききめがあることとか、ボタンをとめるのを手伝っても最後のひとつだけこどもにやらせると子供は満足するとか、抱っこしてー!といわれてうんいいよ、って抱っこして、もうおりる、って言ったときに、だめ~もっと抱っこするとか言って、いやだおりる、って言っておりた時は自立心がでてるからしばらく抱っこって来ないよ、とか、そういうちいさいお話はいつもこころのどこかに覚えて意識してる。(だっこ~って言われても、え~重いからやだとかすぐ言ってしまうけど)

ころがる、とびおりる、は全くやってないな・つみあげる、は積み木で一緒にやったな、まねる、もときどきやるな

しらずしらずのうちに凝り固まってるからだとこころをほぐして、上げてこ~

 

クレヨンハウスの「クーヨン」

f:id:aipkun:20160813191459p:plain 山上さんつながりで、クーヨン。

キーワードは、子ども、女性、オーガニック、家族。ていねいな、芯のある暮らしやすてきな、センスある家族が紹介されていたり。

ついつい、家にいるとひとりで二人を見なくちゃいけない、みたいな孤独感にさいなまれることもあるけど、クーヨンを読んだらみんなで育ててるみたいな感覚になってほっとする。食のことも、環境のことも、みんないろいろかんがえながら、ゆれながら、えらんで進んでいってるんだよな~って近い価値観の人が存在することがわかるだけで安心するよね。このブログもそのために書いているようなものだもの

 

 

上がれば、下がるし、下がれば、上がる。

時間的にも、体力的にも、経済的にも、なにかと、ぎゅっと制約されがちな、母という立場。

でもひとは上がれば下がるし、下がれば上がる。この波を上手にたんたんと乗れたらいいよね。

 

 

また何かみつけたらここで書きます。

じぶんもほぐれてきた~